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平成生まれの原風景 ~「中途半端な都会」という故郷~

こんにちは、カラマゾフです。

 

令和を迎え、日本人にとって新しい時代が始まりました。新元号だからと言って現実が大きく変わるわけではないのですが、それでも心理的な時間の区切りがついたことは大なり小なり影響をもたらしてきます。

 

生前退位の上にGW中の改元ということもあり、レジャーと結びついた正月のようなお祭り騒ぎは、独特の興奮をもたらしました。また、時代の変わり目ということもあり、過去を振り返る機会も多かったのではないでしょうか。

 

改元から日がたつごとに、平成を振り返る動きもひと段落してきました。平成前半生まれの私にとって、懐かしい日々を振り返る機会が得られたのは幸運でした。

 

そんな中、平成という時代に生まれた人間にとっての「原風景・故郷」というものが、一般的にイメージされる「原風景・故郷」とは異なるのではないかという疑問を持つようになりました。今回は、そのことについて書いていきます。

 

多くの平成世代にとっての本当の故郷は田園風景ではなく、灰色に覆われた中途半端な都会ではないのかという話です。

 

 

「原風景・ふるさと」=田舎の田園風景?

多くの日本人が「原風景・ふるさと」と聞いて思い浮かべるのは、田舎の田園風景ではないでしょうか。

 

都会生まれの人間であろうとも、夏休みの祖父母宅への帰省や、「ぼくのなつやすみ」「菊次郎の夏」といったような田舎を描いた作品を通じて、田舎の田園風景への郷愁が心に刷り込まれています。また、テレビなどで「故郷」がテーマとして描かれるとき、大抵は田舎の田園風景が故郷のイメージとして登場します。

 

童謡の「故郷(ふるさと)」で描かれるウサギを追った山、「赤とんぼ」で描かれる夕焼け小焼け、こういったイメージこそが日本人が共有している「原風景・故郷」の一般像でしょう。

 

しかし、「田舎で育ちました」という人は徐々に少なくなっています。都市化が進み、郊外も開発されてきた日本において、田舎で幼少期を過ごした人の割合は減ってきているのです。

 

「故郷=田園風景」という一般的なイメージは、昭和の時代では多くの人にとって実体験に基づいたものだったのかもしれません。しかし、今はもう「故郷=田園風景」は必ずしも実体験に基づいてはいないのです。

 

それでも多くの人にとって、「故郷=田園風景」は固定化された図式です。メディアが描く故郷像は相変わらず田園風景ですし、都会生まれの人もそのことに特に疑問は抱きません。何故こんな奇妙なことが起きているのかというと、「故郷=田園風景」という「常識」が強すぎたことが原因だと私は考えています。

 

「故郷」という言葉にあまりに強く「田園風景」が紐づけられていたために、「故郷」という言葉のイメージが変質してしまったのです。その結果、都会で育った人間であっても、田舎の田園風景が「故郷」だと錯覚をするようになったのでしょう。

 

言い換えれば、昭和時代には確固たる現実だった「故郷=田園風景」というイメージは、そのイメージがあまりにも強固だったために、平成時代を経るうちにいつの間にか「仮想現実」へと変質していったのです。

 

では、平成に生まれ都市部で育った人間にとっての「仮想現実ではない、本当の故郷」とはいったい何なのでしょう。私はそれは「中途半端な都会」だと考えています。

 

「中途半端な都会」という故郷

昭和の後半から、地方都市や郊外であっても開発がすすめられ、田園風景は都市化していきました。平成はその都市化が一層進展した時代でした。日本各地にコンクリートジャングルが広がった時代です。

 

コンクリートジャングルというと、一般的には東京のような大都市の摩天楼が思い浮かべられます。

 

しかし、地方都市であっても、アスファルトに舗装され、マンションや雑居ビルが並び、とにかく人工的な構造物があたり一面を覆っているのであれば、それはまぎれもないコンクリートジャングルなのではないでしょうか。摩天楼でなくとも、それは確かにコンクリートでできたジャングルなのですから。

 

そして中途半端な都会は、コンクリートジャングルとして人々の生活を包み込みます。

 

平成生まれの大半は、そんなコンクリートジャングルである「中途半端な都会」で生まれ育っています。地方出身者であっても、都市部で育った平成生まれは、田園風景に囲まれて育ったわけではありません。田園風景と比べるとなんとも貧弱な故郷かもしれませんが、「中途半端な都会」はまぎれもない故郷なのです。

 

「中途半端な都会」の色彩と匂い

「中途半端な都会」という故郷がどんなものか、私なりに考えてみます。

 

まず、大きな特徴となるのは「色彩」です。都市部の風景は、白や灰色、黒といったビルやアスファルトの無彩色が基調となり、そこにレンガの茶色や、公園や植え込みなどの申し訳程度の緑色が混ざっています。

 

そしてその色調は青空とは相性がよくありません。青空と無彩色のビルの組み合わせは映えるのですが、組み合わせが鮮やかすぎるのです。曇り空の方がビルとは似合います。曇り空に灰色のビルが溶け込むような無彩色。中途半端な都会ではこれが一般的な光景だと思います。

 

次に、いたる場所に人間の匂いと欲望が染みついています。コンクリートジャングルでもある「中途半端な都会」は人工物でおおわれているので、人間の匂いが染みついているのは当然なのですが、ポイ捨てされた空き缶やタバコの吸い殻、酔っ払いの吐しゃ物に果ては道端に落ちてる使用済みコンドームといったものは、むせかえる程の欲望を発散しています。

 

しかし、人工的な空間といっても、自然が皆無なわけではありません。いやむしろ、人工物に囲まれているからこそ、自然のたくましさが際立つのです。

 

アスファルトの割れ目に生えた雑草や、都会でしぶとく生きるカラス、頑丈なコンクリートを腐食させる雨水に、汚い川に住み着いた魚は、人間が自然を決して屈服させられないことを如実に教えてくれます。どれほど人間が自然を征服しようとしても、自然は征服者の懐に忍び込んでくるのです。

 

陰気な無彩色に、人間の匂いと欲望が染みつき、自然の強さが見え隠れする光景、これこそが故郷としての中途半端な都会だと思うのです。

 

田舎の田園風景と比べると貧弱かもしれません。しかし、そう大差はないと思うのです。無彩色の光景は細かく見ると変化に富んでいます。ビルの形や、電線と電柱の絡まり具合や、アスファルトの塗装のムラには意外なほどの多様性があります。田舎の用水路や田園が織りなす個性がコンクリートが織りなす個性に変わっただけです。

 

それ以外の点に関しても、田舎の道端に落ちているタヌキの死骸が、路地裏にぶちまけられた酔っ払いの吐しゃ物に変わっただけだと思うのです。肥壺が使用済みコンドームに変わっただけです。

 

では、そんな「故郷としての中途半端な都会」は、まったく無視されているのでしょうか。そうではありません。「浅野いにお」という漫画家の作品の中で、鮮やかに描かれています。

 

浅野いにお」が描く故郷としての中途半端な都会

浅野いにおという名前を聞いた事がない人もいるかもしれませんが、「ソラニン」という映画の原作漫画を描いた人だと言えばピンとくるかもしれません。そのほかにも、「おやすみプンプン」などが代表作です。

 

メンヘラご用達漫画と揶揄されることもありますが、感性にするどく刺さるからこそメンヘラに好まれるのでしょう。

 

彼の作品の中では、「中途半端な都会」の雰囲気が非常にリアルに描かれています。遠くに見える山々を背景に立ち並ぶマンション、コンクリートが腐食した汚い路地裏、雑草が茂る線路わき、マンションの薄暗い踊り場、そこで蠢く人々などです。

 

こういった中途半端な都会の光景は、平成時代に都市部で生まれ育った人間にとっての故郷であり、原風景なのだと思います。

 

そして実際に、浅野いにおの作品は若い世代の心をがっちりと捉えています。平成生まれの感性に刺さる何かがあるからこそ、ここまで支持されるのでしょう。その理由の一つに、平成生まれにとっての本当の故郷である「中途半端な都会」を鮮やかに描いていることがあげられると、私は考えています。

 

「故郷」は時代と共に変わる

昭和時代の多くの人にとっての故郷は、田舎の田園風景でした。田舎の中学高校を卒業して、都会に出てきて働いていた昭和から平成前半の現役世代にとって、田園風景は紛れもない原風景だったのでしょう。

 

しかし、平成後半から令和にかけての現役世代にとっては、田園風景は本当の意味での故郷ではなくなってきます。故郷が変わってきているのです。

 

平成の前半には、「故郷」はまだまだ田園風景でした。平成13年(西暦2001年)に公開された、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』では、主人公しんのすけの父親であるひろしが人生を回想するシーンがありますが、その中で田舎の田園風景が出てきます。

 

ひろしにとって、田園風景は実際に幼少期を過ごした故郷です。しかし、ひろしの子供であるしんのすけにとって、田園風景は故郷ではありません。しんのすけにとっての故郷は「中途半端な都会」である春日部です。そして、映画公開時の2001年にしんのすけが5歳だったとすると、2019年の現在ではしんのすけは23歳です。

 

クレヨンしんちゃん』の連載が開始されたのが1990年ですから、映画公開時ではなく連載開始時を起点に考えると、しんのすけは現在34歳の大人になります。その場合しんのすけは昭和生まれということになりますが、1985年(昭和60年)生まれのしんのすけは、ほとんど平成世代といって差し支えないでしょう。

 

私は平成の前半生まれですが、平成生まれというか平成世代にとっての故郷は、田園風景が広がる田舎よりも、コンクリートに覆われた中途半端な都会の方がしっくりくるのです。田園風景に郷愁を覚えることはありますが、それはメディアや宣伝によって刷り込まれた、作り物の郷愁といった感がぬぐえません。

 

「本当の故郷」は時代と共に変わって行くのです。そして、平成に生まれ育った世代は、「本当の故郷」である「中途半端な都会」に得も言われぬ郷愁を覚えるのでしょうし、だからこそ浅野いにおが支持されるのでしょう。

 

令和の時代に生まれ育つ人たちは、どんな「故郷」を持つのでしょうか。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。カラマゾフでした。

 

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